2012年3月 

 伊是名島に渡ってみました。前日から大雨で、島を踏査できるか心配でした。しかし、伊是名島の原稿を仕上げる必要あり。フェリーに飛び乗り、運天港を出て古宇利島を通り過ぎた頃から大揺れのフェリー。

 島に降り立った頃には小雨。資料館で館内の展示をみる。近日清明祭があるとのこと。展示してある銘苅家から寄贈の供え物を置く配膳道具が使われれるという。二たかや田の阿む(玉城家・伊礼家)が乗った駕籠もある。

 雨が止んだので、資料館から役場後方のアーガ山へ登る。仲田・伊是名・諸見の雨乞い場所と言われている場所へ。もう一か所は火立所。その確認のため。


 



【伊是名島の神アサギ】


 
伊是名島に四軒の神アサギがある。四軒の神アサギとも旧家(ヲヒヤ家)の屋敷内にある。興味深いのは『琉球国由来記』(1713年)に神アサギの項目がないことである。伊是名・伊平屋島は首里王府の天領地(直轄地)と言ってきたが、神アサギが『琉球国由来記』に記されていないことは、北山系統の家譜が認められていないこと、第一、第二尚氏の時、北山(今帰仁グスク)に監守を派遣したことに相通ずるものがある。今帰仁グスクに監守と今帰仁アオリヤエの派遣は北山の地を首里化していくこと、それが大きな目的であったと見られます。


 伊是名島の神アサギの建物は山原の茅葺きの頃の神アサギとよく似ている。山原の神アサギはその多くが集落内の広場(アサギミャー)やグスク内にある。ところが、伊是名島の神アサギは旧家(ヲヒヤ)の屋敷内に置かれ、それは中南部の殿(トゥン)が旧家の屋敷内に置かれていることと類似している。つまり、伊是名島の神アサギは建物の造りは山原の神アサギと同じであるが、置かれる場所は中・南部の殿と似ている。伊是名島は北山の時代は北山の文化に染まっていたのが、三山が統治されると中央の文化へ靡いていった。第一尚氏、第二王氏が伊是名(伊平屋)出身ということもあり、首里化していったとみることができる。

 
       ▲諸見の神アサギ               ▲勢理客の神アサギ

 
     ▲伊是名の神アサギ                    ▲仲田の神アサギ


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