二枚の辞令書(国頭村安田) 2002.8.18(日)

トップへ


 国頭村安田にあった二枚の辞令書は以前から気になっている。2001年と2002年と安田のシニグとシニググヮーの調査をしたこともあり、祭祀と国(琉球国)について述べる。そのため、この二枚の辞令書を使って首里王府と国頭間切、そしてムラとについての支配関係をできるだけ明確にしておきたいと思う。国都首里から遠く離れた国頭間切の一つのムラをどのように支配していたのか。

 ムラを支配するため、末端まで支配権力を徹底させるためにどのような方法をとっていたのか。さらに祭祀を政治にうまく取り込んでいる姿が見え隠れしている。祭祀を祈りや神が何かという議論も大事であるが、支配する、支配される関係。言葉を変えれば税をとる側と採られる側という視点で、祭祀を捉えてみようと考えている。

 三山が統一された後、また第二尚氏王統になってからの辞令書であるが、ここに掲げ国の地域支配について考えてみたいと思う。難解な文面なのですぐにとはいかないがゆっくり考えてみる。とりあえず、二つの辞令書を前文掲載しておこう。『沖縄県国頭郡志』(大正8年)に掲載されたものを『辞令書等古文書調査報告書』(沖縄県教育委員会)(昭和53年度)に形を整えて掲げられている(「沖縄諸島逸在辞令書」)ので、それをここで利用する。二枚とも古琉球の辞令書である。

〔国頭間切の安田里主所安堵辞令書〕(1587年)
  しよりの御み事
    くにかみまきりの
    あたのさとぬし〔ところ〕
    この内に四十八つか〔た〕は
    みかないのくち
  御ゆるしめされ候
    一人あたの大や〔こ〕に
    たまわり申〔候〕
  しよりよりあたの大や〔こ〕か方へまいる
  万暦十五年二月十二日

〔国頭間切の安田よんたものさ掟知行安堵辞令書〕(1587年)
  
 しよりの御み事
     くにかみまきりの
     あたのしろいまち
     この内に十四つか〔た〕は
     みかないのくち
    御ゆるしめされ候
      〔脱けた部分あり〕
    このふんのおやみかない〔ハ〕
      〔脱けた部分あり〕
    のろさとぬしおきてかないとも〔ニ〕
    御ゆるしめされ候
    此ちもどは三かりやたにて候へども
    万暦十四年に二かりやたなり申〔候〕
    □□□にいろいろのみかないの三分一は
    おゆるしめされ候
    一人よんたもさおきてに
    たまわり申〔候〕
   しよりよりよんたもさおきての方へまいる
   万暦十五年二月十二日

 
安田のシニグ、シニググヮー(ウンガミ)で国と間切、そしてムラについて紐解くのでここに掲載のみ。