『琉球国由来記』(1713年)に登場する御嶽。

 2013年11月11日(月)兼次小の6年生(19名)とクボウヌウタキに登る。2012年01月21日(土)にも登っている。『琉球国由来記』(1713年)で「コバウノ嶽」と記される。君真物の神の出現の時、ウランサンが立つ伝承のあるウタキである。

 そこでの祈願は「首里天加那志美御前、百果報のため、子のスデモノのため、島国の作物のため、唐・大和・宮古・八重山、島々浦々の御船々往遷、百果報があるようにお守りください」と。

 『琉球国由来記』(1713年)当時、今帰仁ノロの崇所となっている。

 クボウヌウタキでの祈りは「首里天加那志(首里の王様よ)」と始まり、それは国家レベルの祈りである。するとそこは今帰仁阿応理屋恵(三十三君の一人)の拝所だったのであろう。ところが、琉球国由来記が編集された頃は、今帰仁阿応理恵は首里に引き上げている(1665年監守と一緒)最中である。今帰仁阿応理恵の祭祀を今帰仁ノロが代理で行っていたと見られる。

 もう一つ、阿応理屋恵按司火神は親泊村にあり、そこは当然のことながら阿応理屋恵按司の祭祀場であるが、首里に引き上げているため今帰仁ノロが代行して祭祀を行っている。阿応理屋恵按司火神が親泊村にあることは注意を要する。というのは、1700年代後半に今帰仁阿応理恵は再び今帰仁に戻るが、親泊村にあった阿応理屋恵按司殿内ではなく今帰仁村にあった今帰仁按司殿内に戻っている。そこには今帰仁按司六世の位牌が今でもある。

 クボウヌ御嶽の中腹あたりにイビヌメーがあり、一般方々はそこまで行き待機する(現在はノロさんと区長と書記さんなど。一般の方が方々はサカンケーでウガンをする)。イビヌメーからさらに上の八合目あたりにイベがあり、香炉が数基置かれている。旧暦5月15日と旧9月15日にウプウガンが行われる。

クボウヌウタきでの祈りは「首里天加那志(首里の王様よ)」と始まり、それは国家レベルの祈りである。するとそこは今帰仁阿応理屋恵(三十三君の一人)の拝所だったのであろう。ところが、琉球国由来記が編集された頃は、今帰仁阿応理恵は首里に引き上げている(1665年監守と一緒)最中である。今帰仁阿応理恵の祭祀を今帰仁ノロが代理で行っていたと見られる。

 もう一つ、阿応理屋恵按司火神は親泊村にあり、そこは当然のことながら阿応理屋恵按司の祭祀場であるが、首里に引き上げているため今帰仁ノロが代行して祭祀を行っている。阿応理屋恵按司火神が親泊村にあることは注意を要する。というのは、1700年代後半に今帰仁阿応理恵は再び今帰仁に戻るが、親泊村にあった阿応理屋恵按司殿内ではなく今帰仁村にあった今帰仁按司殿内に戻っている。そこには今帰仁按司六世の位牌が今でもある。

 クボウヌ御嶽の中腹あたりにイビヌメーがあり、一般方々はそこまで行き待機する(現在はノロさんと区長と書記さんなど。一般の方が方々はサカンケーでウガンをする)。イビヌメーからさらに上の八合目あたりにイベがあり、香炉が数基置かれている。旧暦5月15日と9月15日にウプウガンが行われる。 


   ▲クボウヌ御嶽頂上からの眺望     ▲クボウヌ御嶽から今帰仁グスクを眺める


▲クボウヌウタキの八合目あたりのイベ ▲プトゥキヌイッピャの洞窟内のウルと香炉



   

 

   今帰仁グスク南側のクボウ御嶽   
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