塩屋湾岸のムラ・シマ(大宜味村)

                             (2011.7.9


【田港村は田港間切創設時の同村である】

 1673年に国頭間切と羽地間切を分割して創設された間切である。間切創設当初は田港間切、1713年の頃には大宜味間切となっている。間切名の改称がいつなのか、明確な史料の確認はまだだが、17世紀末と見られる。その頃(康煕34年:1695)に国頭間切と久志間切との境界線の変更(方切)が行われている。その時、田港間切の田港村にあった番所を大宜味村に移動し、間切名を大宜味間切と改称した可能性がある。番所があった田港村のウタキに20余の香炉が置かれているのは番所があったことを示しているのかもしれない。香炉が置かれた(奉寄進)年代は1800年代以降。大宜味村のウタキに10数基の香炉が置かれているのも番所が置かれていたことに起因しているのであろう。ただ、塩屋にも番所が置かれていたので、同様の数の香炉がウタキにあるかもしれない(未確認)。

 大宜味間切の番所は田港村→大宜味村→塩屋→大宜味(大兼久:昭和5年分離:現在)


【タキガー(滝川)】(寺屋敷)(「沖縄県国頭郡志」「大宜味村史」)

 滝川のほとりに寺屋敷と称する所あり。260年前定水和尚が居た所の跡だと伝えられている。定水和尚は(土地の人はダチ坊主と呼ぶ)首里新城家の祖先で王府に仕えて重職にあった人で寛文5年(1665年)国王尚質王重臣を集めて尚真王以来派遣していた北山監守を撤廃せん事を諮る。時定水は北山の地が僻遠にしてまだ教化が普及しないから撤廃は早いとなし意見の不一致となる。王嚇と怒り曰く「汝何の故を以てか尚早しとなす。予不徳にして感化未だ国頭に及ばざるの謂んるか。と詰責され定水答ふる能はず、官職を辞し仏門に入り剃髪して定水と号し閑静なる塩屋湾の東隅に退隠して悠々余生を送る。

 後定水は剛直なる民本主義の政治家で彼の在職の際八重山に於ける人頭税の荷酷なる事を説き、其の廃止論を唱え、又親々が往昔その領地を異にして食封を受けている者あるを本法とし、其の一を王府へ返納させしむべきことを提議する等の剛直無欲の人だった。彼は日本思想家で数回北京に赴き、彼地にて和歌を詠めるもの多しと、
 新城家口碑に
  定水はその後法用ありて上首せしことあり。時に国王自ら前非を悔い、度々仕官せんことを勧め給いしが固く辞して受けず直ちに大宜味に帰りば家族流涕止まざりきという。

 定水は死後首里の弁が岳の下にある拝領の墓に葬られ、其の祭祀料として百ガネーの土地を賜はり、此の地は今位牌を安置してある蓮華院(万松院)の有する所となっている。また塩屋小字の大川に塩屋山川なる旧家があるが此の敷地は同家の先祖がダチ坊に親しく仕えそのよしみで現在の敷地を定めて呉れたとの伝説がある。



      ▲田港の滝川(タキガー)        ▲田港のウタキの祠(20近い香炉)


【琉球国由来記】1713年)での祭祀
 ・底森 神名:イベナヌシ 田湊村
 ・ヨリアゲ嶽 神名:オブツ大ツカサ 塩屋村
 ・田湊巫火神 屋古前田村 (按司からの提供物あり)
 ・屋古・前田村での祭祀
   ・百人御物参/稲二祭/束取折目/柴指/ミヤ種子/芋ナイ折目/三日崇
            稲穂祭/稲穂大祭/束取折目/海神折目/柴指/芋折目
 ・城村・喜如嘉村(按司・惣地頭からの提供物あり)


【沖縄島諸祭神祝女類別表】明治17年頃)
 田港村 本ノロ一人 若ノロ一人(塩屋)
     田港村神アシヤゲ/屋古前田村神アシヤゲ/塩屋村神アシヤゲ/根路銘村神アシヤゲ


  
▲田港の神アサギ        ▲屋古の神アサギ         ▲塩屋の神アサギ     


【塩屋湾岸を謡ったウタ】
  ・宵も暁もなれしおもかげ 立たん日やないさめ塩屋の煙(干瀬節)
  ・肝いさみいさで二人うちつれて 大宜味番所なまど着ちやる(亀甲節)
  ・恋し屋古田港しなさけはかけて いきやし塩屋港渡といちゆが(国頭親方)

【脚本花売縁大浦節】
 ・まこと名に立ちゆる塩屋の番所、なかやまやくしやて港みめに
 ・沖の綱舟エイヤエイヤと浜に寄せ来るは、道急ぐ人もよどで聞ちゆさ だんじゅ首里那覇も音にとよむ
 ・まこと名に負ふ塩屋港、出船入船絶間なく浦々諸舟の舟子共 苫(トマ)を敷寝の肘枕
 ・哀れに歌う節々を 聞くにつけても袖ぬるる山の端出づる月影に 海人の釣舟こぎ烈れて

沖の方にぞ出でゝ行く(センスル節)

 
    ▲塩炊きの祠                    ▲塩炊きに使った焼け石 


【塩屋湾】

 渡野喜屋(白浜)の岸より渡し舟に乗って塩屋の浜に着く。この間を塩屋湾という。深碧藍のごとき潮水遠く湾入して平良港との間一地峡を抱し、前面には宮城島横はりて朝夕炊煙の立ち上るを眺むべく、後方は翠黛を粧へる中山を負い、山水の雅趣宛然一幅の油絵に似たり。
 以前大宜味番所は此の風景絶佳なる塩屋湾頭に位して眺望を恣にせしが西部に偏せるの故以て大宜味に移転した

 
 ▲塩屋番所があった場所(現小学校)        ▲塩屋湾(シナバ浜)


【田港ノロが管轄するムラの祭祀
・ニングヮチウマチー(二月ウマチー)(旧2月)
・アーブシバレー(畦払い)(旧4月)
・ワハグサアシビ(若草遊び)
・ツングヮチウマチー(旧5月)
・アクウイミ(開き折目)
・ニジュグニチ(25日)(米束をノロ殿内に供えノロとメービー(付き人)がウガンをする。
・ウンガミ(海神祭)(旧盆明けの最初の亥の日)
・ウイミハタレー(折目語れ:神人の直会?)(旧8月)
・ハーウガミ(川拝み)(旧9月)
・マーラニ(旧9月)(イソギ:トゲ)のある種籾を手でもんでノギを落して種籾の準備をする)
・ウンネー(芋折目)(旧11月)(芋にモチ米の粉を混ぜてつくる)(かつては煮た芋、
 今は生芋)


【田港ノロドゥンチ】


▲田港ノロドゥンチ   ▲ノロドゥンチの内部    ▲隣にあるヌルガー

【根謝銘と根謝銘屋】


   ▲根謝銘(ニジャミ)(草分けの家)


      ▲根謝銘ヤ(ニジャミヤ)            ▲根謝銘ヤの内部 

 
               ▲兼久浜から眺望できる古宇利島


【塩屋の海神祭の流れ】(塩屋のウンガミ:宮城竹秀氏参照:1986年) 
                          参考文献:「塩屋・ウンガミ」塩屋ウンガミ刊行委員会編
                                 「大宜味村史」(資料編)


 ・旧盆明けの最初の亥の日
  ・田港→屋古→塩屋
 ・起源については不明(但し、『琉球国由来記』(1713年)には行われている)
 ・ウグヮンマール(御願廻り)とウルイマース(踊り廻り)(隔年毎)
   (ワラビミキマール・ハーブイマール・チヌマキマールともいう)
 ・ウグヮンマールの年は、ウガンや供え物が多くなる。
 ・ウルイマールの年は、ウガンが簡略化される。
 ・ウルイマールの二日目は塩屋で踊り、屋古と田港ではサーサーが行われる。

【ウンガミの前日】
 ・ウンガミの前日の晩(それぞれの元屋や神屋に集まりウンケー(お迎え)をする。
   (ノロはサンアンムとシマンホーを従えてヌン殿内で御迎えをする。翌日のウンガミを告げる)
   (ウンケーの唱えあり。豊作・豊漁・ハーリーの無事(航海安全)の唱えあり)

【ウンガミの当日】
 
@田港のウフェーヤ
 ウフェーヤの祠で祈りをしてノロ殿内へ向う。

A田港ノロ殿内
 ノロ殿内での祈りが済むと、サンナムとシマンホーが鼓を叩きながら神ハサギへ。ノロを先導する。



B田港の神アサギ
 神人達がアサギに集まる。
 ノロが到着し、揃うとアサギの東側を流れるタンナ川へ行き、ミヂナデー(水撫をする)
 ウンケーの酌がはじまる。
 ヌルはアサギの後方の山に向い、他の神人達の座るトムトゥ(座)は決まっている。
    (ウンガミの始まりを告げる)
  (神の来臨のお礼と門中の方々の健康・五穀豊穣・ハーリーの無事を祈る)
  (他の神人や参加者一同手を合わせる)
  (四(田港・屋古・塩屋・白浜)から出された神酒が配られ、各々の門中から出た神人を拝みムリ

餅(四角)を戴く)
  芭蕉着の神衣装を着た神人は田港と屋古の神アサギに参加する。白地の神衣装を着た神人は田港アサギ

のみに参加する。???(要確認)
 田港の神アサギでのウガンが終るとシマンホーが叩く鼓と共にマタザイ(又サイ)を持った
 シマンホーの先導で屋古アサギへ向う。

    @田港アサギ。ノロのウガンが終ると各門中の神人を拝み、神酒とムリ餅をいただく。
       Aシマンホーを先頭に田港神アサギから屋古のアサギへ

C屋古の神アサギ
 アサギの広場へ。太い柱を中心にクムー(クモの巣)がかけられている。
 芭蕉の葉の屋根と下にはムシロ代わりの場所の葉が敷かれている。(根路銘の座もある:空席)
 ヌルはアサギを背に海の方に向いて座る。他の神人の座は決まっている。
 中央の柱の廻りにシマンホー(男性)が車座になる)
 ムルのウンケー酒が始まると屋古の屋古ナーカと前田家からヌルに花米と神酒を供え、ウトゥイケー
 (盃を交わす)をする。
 屋古神アサギではアシビガミとスリガミに分かれる。アシビガミはハーブイ(ノシランを竹に輪に垂らす)を被り、弓を持って「ヨンコイ、ヨンコイ」と唱えながら柱の廻りを回る(七回)。途中、白衣装に着替える。ノロも白衣装に着替え、チヌマキ(ツル草の冠)をのせ、勾玉をかけ簪をさす。
 二回目は五周して終わる。
    (ユンコイは果報・舟漕ぎ、弓の所作は猪狩り)

    B屋古の神アサギでのウガン 
    C屋古の神アサギでのハミウスイ
    Dヨンコイと唱える  

Dファーリンクヮ(フビバン)
 屋古のフルガンサから出発。ファーリーンクヮ(若青年が20人位)、続いてウフバーリ(40人余)が、それぞれ三艘づつ出発する。各舟にファーリーガミが二、三人乗り「エイサー、エイサー」と声をかける。かけ声と同時にクバ扇を打ちふる。対岸の塩屋では各村の婦人達が藁鉢巻姿で腰までつかって、手サジを振り、鼓を叩きながら舟を迎える。
   E屋古のフルガンサに向う神人達

Eノロの行列
 陸路のノロの行列(シマヌホーが鼓をたたきながら)が通ると、ファーリーのメンバーや海の中の婦人達はノロの行列に手を合わせる。沿道沿いの方々も手を合わせておがむ。
 F屋古アサギから塩屋へ
 Gノロが通るとファーリーの乗り組員や沿道の人々は手を合わす

Fヌルの行列は兼久浜(ナガリ)へ
 兼久浜(ナガリ)に着くと、シマンホーは四本のマタイザイを渚に立てる。ヌルを中心に他の神人やその一門の方々が海の方に向って拝む。(古宇利島に向っている。その意識は?)
 ウガンが終るとシマンホーが西の方に向って、マタザイで海水をかきあげてイルカを捕獲する所作をする。 

     H兼久浜でのウガン(西に向って)古宇利島? 
     Iマタサイでイルカや漁をする所作

Gパーシ(ウムイあり)
 ナガリが終るとヌルの行列は同じ神道を戻る形でシナバへいく。小休止のあとノロが田港の御嶽へ祈願をする。ノロが唱えるウムイに神人達が唱和する。ウムイが終ると奉納相撲があり、ノロは途中で田港へ返る。駕籠は塩屋のウガンバーリ(舟)で田港へ送る。 
      J駕籠に乗った神人が到着          
      Kシナバでのウガン
 
      Lシナバでのウガン
       Mシナバでのウガン  

 【2日目】
 ・ヤーサグイ(ウグヮンマール)の時の2日目
  ヤーサグイで神人が回る家や拝所(家々の不浄を払い、一家の健康と繁栄を祈る)
  (田港と白浜はノロと白浜の神人が中心)

 ・田港  ウフ屋・ノロ殿内・根謝銘屋(ニザンヤ)・桃原・ウフェー屋
 ・白浜  根神殿内・タマ屋・クラントー
  (屋古と塩屋は若ノロ・ウフシル・ニガミ・スリガミ達がハミンチュ(神人)の元屋をまわる)
 ・屋古  ウフェー屋(神アサギの後ろの祠)・若ヌル屋・ナハ家・上ヌ川・メーダヤー
 ・塩屋  根神屋・大東新屋・ナハ屋・スーギチ屋・仲ンダ屋・上殿内・セーク屋・スリ屋

 【田 港】 

 
▲ウンガミの翌日(田港のウフェーヤに集う)       ▲田港でのヤーサグイが終って 

【屋 古】


▲ヤーサグイ、屋古でのウガンが終り浜(海岸)でのウガン 

【白 浜】 


▲シマンホーの鼓を先頭に白浜にはいる

 
▲白浜のウイクラニーでのヤーサグイ ▲ウイクラニーの隣のカミヤーでシマンホーと男衆

 
【塩 屋】


▲塩屋のスリヤーでのヤーサグイ(家の繁栄と健康祈願)