本部町具志堅にトン・トト・トンという祭祀があります。今帰仁村今泊でも行われていましたが、今でも消えてしまった祭祀の一つです。具志堅のトン・トト・トンを通して今泊のをいくらかでも復元できればと。トン・トト・トンの名称は鼓を打つリズムや棒を打ちつける時のリズムからとった名称とみられます。トン・トト・トンの所作はシルガミと呼ばれる男の神人が関わることに特徴があります。

 結論を言うと「トン・トト・トンはシニーグ(シニグ:凌ぐ)を表出」場面である。

【具志堅のトントトトン】
 本部町具志堅で旧暦の7月19日、7月21日、7月23日、7月25日、7月26日に行われる祭祀がある。それら一連の祭祀をシニーグと読んで呼んでいるが、それぞれの日の祭祀は呼び方がある。シニーグの祭祀の名称は、トン・トト・トンを鼓を打ちながらムラの悪疫や不浄のものを祓いする(凌ぐ)所からきているとみてよさそうである。

【本部町具志堅】
  @7月19日はウーニフジ(御船漕ぎ)
  A7月21日はフプユミ(大折目)
  B7月23日はトン・トト・トン(シルガミが関わる)
  C7月25日はソウニチ
  D7月26日はタムトゥノーシ

【今帰仁村今泊】
 @旧盆明けの戌の日 ウーニフジ(二カ所のウーニ)
 A旧盆明けの亥の日 ウプユミ(大折目:グスクウイミ)
 B旧盆明けの子の日 シマウイミ
   (神ハサーギでウシデークの舞いをやっていた)

   (シニグイ道で男神役がトン・トト・トンをする)

 一連の祭祀があるが、ここでは二か字のトン・トト・トンの流れをまず抑えてみます。このトン・トト・トンと呼ばれる行事の所作に「シニーグ」(凌ぐ)の名称が充てられているのではないか。そこで重要な役目を果たしているのが男神人(シヌガミ:シドゥガミ)です。国頭村安田のシニグの時、三つの山から男衆が山から太鼓を打ち鳴らしながら降りてくる場面、その時木の枝で悪疫や邪気を払いながらいく所作と類似しています。山から海までいく所作にシニグ(凌ぐ)名称がつけられた見ているからです。
 
 本部町具志堅で上の5日間の祭祀に移る前に大ウサイと言って氏子調査がなされていたようです。『具志堅誌』(573-4頁)で以下のように記してあります。
  
シニーグ(ここでも5つの祭祀をシニーグと呼んでいる)の行事にうつる前に、大ウサイと云って、
  具志堅(ウイ=元になる部落)、真部(マブ)、上間(ウイマ)の三ハサーギ(三つのハサーギ)の
  シヌガミ(男の神人)が具志堅(ウイ)のハサーギに集まって、島の大屋子(シマンペーフ)(男の
  神人)と共に、十五才以上の男子を調査する。調査した数を、かねて用意したワラザイに数量を
  しるし、それを氏神に報告する。これは大切な調査だと云われている。これによって十五才以上
  の男子は、粟や稗wぉ一人五合宛、十五才以下の男子は一人一合宛、各自の属するハサーギ
  へ納めて、氏神祭り(シニーグ)の時おミキの原料にあてたり、その他の費用に(換金)に当てて
  いる。
  現在(昭和52年頃)は、どの家庭も殆ど粟、稗をつくらない。水田も甘蔗(サトウキビ)作にきりか
  えられているので、購入した食料米から一戸二合宛献納し、おミキをつくりお供えをしている。
  従来は三ハサーギあったので、各戸の属するハサーギに納めたが、昭和16年に三ハサーギ統
  合後は具志堅(ウイ)ハサーギに奉納している。


具志堅のトン・トト・トンの祭祀の流れ
 ・ノロはじめ神人(男女)、島の大屋子(シマンペーフ)がハサーギに集まる。
 ・悪疫祓いの祈願(ウガン)をする。
 ・神ハサー内での祈願が済むとグシク(具志堅のウタキ:お宮)森のイベへ。
 ・イベでの祈願をし、そこで男の神人はシバキの小枝を白の衣装の襟の後ろにさし、
  小さな鼓をトントト・・トトンと打ちながらグスク(御嶽:お宮)から降りてくる。
 ・さらに集落内を廻る。

     (まだ、続きます)

 ・ミハージ(海岸)で襟にさしていたシバキの小枝を海に流す(そこが流れ庭)
   (悪疫が海の方へ流れて行っての祈願)
 ・男の神人達は、ノロや女性の神人が待つ大川(フプガー)へ。
 ・そこで参加者が祈願をし終わる。

(以下は2009年の具志堅のトン・トト・トン)










【今泊のトン・トト・トンの祭祀の流れ】


    (工事中)






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